群馬県高崎駅から車で30分ほど走った住宅地の中に、40ヘクタールほどの農地が広がっています。ここで農家を営むのは紋谷農産の紋谷巌さん。米、大豆、大麦を育てる専業農家です。5年前から生産履歴をクラウド上で記録・管理すること を始め、IT化を図ってきました。
クラウドでの記録・管理には利便性を感じる一方、難しさについてもリアルな現状をお話してくださった紋谷さん。
これからの農業に求められることとは、どのような意識なのでしょうか。
農業のやりがいは「創意工夫ができること」
ーまずは紋谷農産で作っている作物について教えてください。
私たちは、米、大豆、大麦を育てています。米はあさひの夢やキヌヒカリ、ひとめぼれの3種で、農協には卸さず牛丼チェーン店などと直接取引を行っている。一方、大豆と大麦は農協に卸して販売しています。
従業員3名くらいの小さな農家のため、5月の連休明けの種まき・田植えの時期は人手が足りません。そのため、農業機器メーカーの方に田植え体験としてお手伝いにきてもらったり、政策金融公庫の研修生を受け入れたりして、多くの方に関わってもらっています。
大豆作りでは、大豆トラストという活動に参加しています。この活動は市民と生産者が国産大豆を作り自給率を上げていくというものです。主婦の方に草むしりにきてもらったり、大豆が枝豆として食べられる時期に収穫にきていただいて5本ずつ持って帰って食べてもらったり。みんなで豆腐づくりをすることもあります。30家族くらいが関わっており、農業を知ってもらうきっかけにもなっているのではないかなと思います。

ー作物は、地域の方々などの協力を得ながら作られているのですね。
紋谷さんは、どのようなきっかけで就農されたのでしょうか。
私は実家が農家だったため、幼少の頃から家族の手伝いで農作業をしていましたが、初めから農業を志していたわけではありませんでした。幼い頃からの夢は海外に行くことで、19歳の時にヨーロッパに放浪の旅に出たんです。イギリス、フランス、スイス、イタリアなど半年間で6カ国くらいを回りましたね。さまざまな国の方と交流したり、一人で考える時間をじっくり持ったことで、何かに真剣にならなければという思いが湧き上がったんです。
そして帰国後、実家の農業を継ぐ覚悟ができて。20歳で農業者大学校(当時)に入学し、3年間農業を学んだのち、専業農家として就農しました。
ー自分としっかり向き合う時間を経て、就農されたんですね。就農されてから今まで、印象に残っている出来事はありますか。
印象に残っていることというより、毎日が同じことの繰り返しのようで実は違いがあるのだ、ということを思いながら仕事をしていますね。私たちが育てている稲や大豆、大麦は農地で雨風にさらされながら作る作物です。ビニールハウスで育てる野菜などと違い、自分の思い通りにならないことが多い。そんななか、いかに創意工夫をするかというところに、やりがいがあるなと感じます。
生産履歴のIT化で作業の透明化
ーITツールを使っての生産履歴管理をしているとのことですが、それも工夫の一つなのでしょうか。
そうですね。生産履歴の管理は過去の記録も含めて、データ化を行っています。もともと私たちは農業専用の記録ノートで農作業の記録をつけていました。手書きで書いていたため日々の記録に時間がかかることが多く、事務所でしか記録がつけられないのも課題でした。そこで5年前から導入したのが農業クラウドサービス です。
Google Mapを使って作業した圃場を色分けして管理したり、従業員の作業時間・内容の記録も行うことができます。紙で記録してきた歴史があるため、導入当初は今までの記録をデータ化するのは大変な作業でした。しかしMapを使っての記録や「いつどこで誰がどのような作業を行ったか」ということを検索できるようになったのは、クラウド化のメリットかなと。
たとえば「6月20日に田植えを行ったのはどこか」ということも検索ですぐにわかるようになっています。農作業の振り返りを行う際にとても便利になりました。
また、行政への記録の提出にも役立っているんです。県が農家の経営調査をすることがあるのですが、その際に聞き取り調査や記録の提出があります。データ化をしていないと、聞き取り調査に答え、行政の方が調査項目を手書きでびっしり書かなくてはいけません。
私たちはデータの提出で済んでいるので、こちら側としても調査側としても、メリットになったと感じています。

ー記録をする際の利便性向上や、検索も可能になったのですね。
加えて、記録をどこからでもつけられるようになった点は、楽になったことだと思っています。
従来であれば、事務所に戻ってきて紙のノートに農作業の記録をしなくてはなりませんでした。しかし今は従業員が自宅でスマホから記録することもできますし、今まで通り事務所からPCで記録することもできます。最近はタブレットも導入し、現場からの記録も可能になりました。
ただ現在はデータを活用するところまでは手が出せていないため、今後の課題ですね。
ーこれから農業を志す方や、農業のIT化を進めたい方に対してアドバイスはありますか。
農業は一人ではできませんから、周囲の方の理解を得たり、関心を持ってもらったりすることを意識していくといいのではないかなと思います。
例えばこの地域は住宅街の中に農地がある。そうすると、住宅と農地が近い距離にあるんですね。田んぼにゴミが落ちてしまっていたり、農業機械の音が近隣の方に迷惑になってしまったりと、トラブルが起こったりもします。そういう時には地域の方々と、お互いに理解し合うことが求められますね。
最近はUターンの若者も含め、新規就農者も増えていますが、農業は簡単な仕事ではないことを改めて意識してほしいなと。生活の糧を得るための収入源は他に持っておいて、まずは兼業農家から始めても良いのではないでしょうか。
農業のIT化に関しては、特に稲作に関しては難しさを感じています。ビニールハウスで雨風を防げる作物であれは別ですが、稲作や大麦などは台風や大雨の影響を避けて通れません。
農業は自然を相手にするやりがいのある仕事であると同時に、厳しい自然と向き合わなければいけない仕事であることを忘れないでほしいと思います。
IT化を進めると同時に稲作へのIT導入に難しさも感じている紋谷さん。長年の経験から、新規就農に対しても冷静なアドバイスをいただいたのが印象的でした。
農業のIT化が進む中、自然を完全にコントロールすることはできないということに、改めて気づかされた取材でした。
