元看護師が届ける「冬のスイカ」。生産からSNSまで、ITが可能にした「小さな記念日」を祝える農業

高知県から出荷され、全国にファンを持つ「アンテナスイカ」というブランドがあります。

つるがピンと天を指し、縁起物としても愛されるこの商品。もともとは単なる市場での愛称にすぎませんでした。それを全国区のブランドに育てたのが今回お話を伺った江本美江さん。

およそ20年前、看護師から農家へ嫁入りしたことをきっかけに、家族とスイカづくりに取り組んできた彼女。夫と義両親が育んできた、高い技術と品質の高さをもっと広く届けたいーそんな思いを込めた「アンテナスイカ」で目指す農業の形、そして実現を支えたIT活用の裏側に迫りました。

 

「小さな記念日」のために生まれたアンテナスイカ

 

 

―この「アンテナスイカ」、見た目以外にも特長があるのでしょうか。

はい、普通スイカといえば夏の食べものというイメージが強いかと思いますが、このスイカは冬と春に出荷をしているんですよ。

―それは珍しいですね!どうしてそのようなことに取り組んでいるのでしょう。

もともと私は看護師をやっていたんです。そのころ「最期にスイカを食べたい」という患者さんがいらっしゃって。患者さんに最後まで献身するのが看護師の役割でしたから、スイカづくりを通じて人の人生の役に立つことができるなら、本望だと思ったんです。

―確かに、人生の最期に食べたいものがあったとしても、それが旬でなければ手に入らないわけですものね。

そして最期に食べるものだからこそ、当然美味しいものがいい。私たちのつくるスイカは「皮のそばまで甘い」ことも特長のひとつなんです。

―本当ですね…!これなら切り方に関わらず、スイカを美味しくいただくことができます。

最期のスイカ、というのは極端な例かもしれませんが、みなさん必ずちょっとした「記念日」ってあると思うんです。「逆上がりができた」とか。そんな「小さな記念日」にそっとよりそうことができる存在になったらいいな、と思っています。

 

環境制御を駆使して実現した「冬のスイカ」

 

 

―味にしても収穫時期にしても、実現には工夫が必要ですよね。

もちろんそうです。私たちは立体栽培でスイカを育てているのですが、メインのハウス1棟あたり900玉ほどが収穫されます。ひとつ2〜3キロくらいかな。緑を絶やさずに水管理で甘くしたり、温度管理で適切な場所へ養分を集中させたりしているんです。味や大きさに関しては、二酸化炭素発生装置の活用も大きいですね。

―管理は主にどのような機械を使っているのでしょう。

温度管理センサーをぶら下げて、そのデータを元に窓を開けたり、冬の寒いときは穏当式のハウス暖房がつくようになっていたり。うしろに鉄の管がずっと通ってるでしょ。ここを70度ぐらいのお湯が通って空気を温めて暖房しているんです。

作物によっていろんな暖房の取り方があるけど、うちは、緩やかに全ハウス内に管を張り巡らせて全体を温める方式です。でも、スイカって夏の果物だから、交配作業のときは20度を超えるぐらいの温度が必要になるんです、しかも早朝に。高知でも冬の朝は1度とか2度とか。それを20度上げないといけないから。

―暖房費がかさみますよね。

やっぱり夏野菜を冬に作る高知県は、冬の暖房設備があってできる前提ですから。だから、できたものを安く売られると、原価にかかる暖房費とかが全く回収できない。重油代だけで1カ月で100万ぐらいかかるわけです。

結局、このスイカがいくらで売れないといけないかって、きちんと計算ができないと、本当に安く買い叩かれたら私たちの労働力とか、タダ以下になってしまうわけです。それなのに市場ではある程度値段が決まっていて、最低価格しか保証されない。

−−それでも冬にスイカを作っていくことを決めた。

最初の話に戻るようですが、病床について、今何が食べたい?って聞いたら「スイカ食べたい」って言う人が結構いて。この冬、2月採りをしたときは何人も。それが愛媛の人だったり、大阪の人だったり、「すぐ送ってください」と。インターネットで一生懸命探したんでしょうね。ヒットしたのがうちだったからっていうことで、これは嬉しいなと思って。

 

必要としている人に届けるための「ネット直販」

 

 

―そういった「スイカを求める声」に直接応えられたのは、まさにインターネット活用の効果ですね。

そういう小さな声に応えていけるのは、直販を選んだからこそですね。特にこれからのお歳暮の時期はぐっと直販率が上がります。見た目も、箱も贈呈用にしっかりしたものだからお客様も相応の価格で買ってくださる。

―そうして戦えるのも自分のブランドを立ち上げていったからこそですね。

どうやったらお客様が求めるものを届けられるか悩んだ末にやむをえず、ですけどね。でも、外の仲間たちの力を借りることでスピードはとても上がりました。例えば、贈答用を意識していたので、アンテナがちゃんと入るように縦長の箱をつくったり。中に入れるカードなんかも、元々東京で働いていて高知に移住してきた女の子にトータルでデザインしてもらったんですよ。

―心強い味方と出会えたんですね。

ちゃんと誰に届けるのか、を考えてリブランディングしてくれたり、販売もBASEを使えばすぐにできる、情報発信はSNSを使ってコストをかけずに…とか。彼女を中心にいろんなご縁でつながっていきましたね。スピードが速くてスリリングです(笑)。

―その結果全国にファンもついていますからね。IT活用にあたって、周りの方とのご縁は本当に大事ですね。

最終的な小売の価格、つまり1玉が百貨店に並んだときの価値が私たちの価値なんです。そこから逆算して、つ卸の人や、ダイレクトに知ってくれている応援団のような人たちに、きちんと対価を払うための分を加えた価格で出せるか、という、そのトータルが私たちの売上なんです。

 

農業は茨の道。だけど、つながりで乗り越える

 

 

―ご結婚されたとき、いまのような姿は想像できていましたか?

看護師として一生やるって思ってましたけど、分からない世界だったからこそ飛び込めたのもあったなと思いますよ。お義母さんとお義父さんが農業をこれぐらいにして息子に託したいっていう熱い想いがあって、息子(夫の浩一さん)は素直にそれを受けてやり始めた人。私もこれから看護師に戻るのは想像しにくいし、それよりは農業の世界でできることが見つかったと思っているのが大きいです。

―いずれは次の世代に手渡していくことも。

それも本当は茨の道で。代わりがいないんです、農業って、もしひとたびできるようになったら、私がいないと成り立たない。このスイカにはならない。今は、お義母さんがいてくれて最高のクオリティ。でもこの先、後継者だったり労働力だったりという社会問題的なものが全部凝縮されてますよね、農業は。

だから、結局は仕事も地域も何もかも、スタイルを貫くっていうことにつながるんです。私はこだわるところが、対お客様。このスイカを通じて役に立つ。だからこうなったのかな。

―一貫していますね。

それに、一緒になって応援してくれる人たち、30前半から中頃の人が、今すごくそうやって頑張っているのを見せてもらったから。私より15ぐらい若い。うち、娘が今、大学4年、3年、1年っておるので、ちょうど娘の歳なんです、本当に。

そんな人たちと出会うと、誰かが「やろう!」としていることを阻むのは、先輩として絶対してはいけないなって、最近すごく思うんです。そういう人たちと何か爪痕が残せたらいいですよね、面白い。なんなら、バトンタッチしてもいいですよね。

 

 

※ウェブメディア「70seeds」にて江本さんのロングインタビューが掲載されています。彼女のより個人的なライフヒストリーに触れてみたい方はぜひこちらのリンクよりご覧ください!

 

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